ダーイ ダーイ ダーイ ได้ได้ได้

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オン 安らかにね

4月8日夕方にチェンマイのゴイからの電話は、オンが死んじゃった〜!という泣き叫ぶ電話でした。
その直後、バーンロムサイのスタッフからも電話をもらって、少し様子はわかりましたが、こういう時に限って日本にいるから何もできず。。。。

ゴイとオンとポーンの3人は、幼いころ一緒にバーンロムサイへ国立孤児院から来ました。
卒園してからしばらくして、オンもゴイも落ち着いた生活が送れるようになったころ、それぞれ小さなプライベートスペースもある家をシェアして借りて、それぞれの恋人も同居したり、時にはもう一緒は無理!という大喧嘩もしたりしながら、今まで暮らしていたのです。

何度かその家でムーガタ鍋の宴に呼んでくれて、一緒に飲んだりしていました。

同じ時期に入園したことも関係しているのか、卒園後も相性のよい姉弟。

亡くなる前日の日曜日、猛暑のチェンマイ。

ゴイからヌンやオンとビニールプールの中で水浴びしている楽しそうな映像が送られて来て、一足早い
ソンクラーン(タイ暦のお正月)ムードを私も味わっていました。
その翌日に死んじゃうとは夢にも思わず、、、。

バイクでバーンロムサイに近い運河沿いを走っていた時に、カーブで転倒。
首の骨を折り、胸を強く打って、救急隊が来た時はすでに亡くなっていたとのこと。即死だったようです。
さらに誰も巻き込まずに済んだのは不幸中の幸いでした。

車やバイクが好きで、洗車の仕事で高級車を移動させたりするのを何度自慢されたか、、。
その後も何度か転職をしましたが、一貫して車関係。最後は日産の車のエアコンの会社だったと思います。
そしてバイクが好きで、一昨年?新しいちょっと大きめのバイクを買ってわざわざ見せに来た時、本当に嬉しそうだった顔ははっきり思い出せます。

書き出すとキリがない、、。

あとオンがまだ小学生の時、札幌の支援団体から雪まつりに招待していただき、5人の子どもの付き添いで札幌に同行した時、飛行機の中で離着陸の翼の動きに「メー、見て見て見て!」と大興奮だった顔も鮮明に覚えています。

同じ歳のタン。
卒園直後、ものすごくボロボロの家に二人で
一時暮らしていました。

札幌雪まつり。
ハプニング続出の珍道中でした

この写真が好き

オンは生い立ちなどの詳細がわからず全く身寄りのない子だったので、当然ですが検死からお葬式をバーンロムサイがやることになりました。
そしてすべての手続きにゴイが同席。

お寺での葬儀、そして11日木曜日には火葬があって、5日後?に遺灰が戻ってくると聞いています。
現職や元いたバーンロムサイスタッフ、一緒に育った卒園生たちなど多くの人々に見守られながら、オンは
無事旅立ちました。
27歳。

ちょうど福岡で散歩しているとき、やっと泣けた。
それまで少しグズグズしたりしていたけれど、何かうまく消化できなかったのかな?!
眼科に行く前だったのに、目が腫れてしまった、、、。
その散歩の途中に、さらにゴイからビデオ電話。
火葬の前日、テンモーやヌンやダーウたちとお花を飾ったり参列者に配るものを準備したりと、みんなで集まっている場所からビデオで話しながら、色々と火葬場の中を案内してくれて、オンの顔も見ることができました。殆ど傷がなくて穏やかだったから、よかった、、、。
 

喪主のような立場。
ゴイはずっとオンに付き添っていました

火葬の前の葬儀の様子

ゴイがたくさんの写真と映像を逐一送ってくれたから、ありがたかったです。

火葬が終わって。
集まった卒園生たち

車やバイク好きのヌンにとっても、仲の良い弟だし、二人でお休みの日にはツーリングへ行ったり、兄弟でもあり大親友でもありました。
ゴイとヌンは、今頃がとても悲しくてつらい思いをしているのではと思います。

やはり自分より先に逝かれると、なんともいえない悲しさというか悔しさというか、うまく表現できない感じです。

悲しい備忘録となりました。
もうこういうのは二度と書きたくないです。

福岡のいつもの散歩道

2024/04/13(土)

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