シントー
シントーがバーンロムサイに来たのはおそらく小学校4年生くらい。
とても華奢で小さくて目が大きくて声が細くて高くて。 しばらくお寺に預けられていたようですが、何か縁があって叔母さんがバーンロムサイへ連れて来たのを覚えています。
国立孤児院で育った子どもたちとはちょっと違って、お寺に預けられていたとはいえ、世間の波にそれなりに揉まれてきたせいか、大人の顔色をみながら行動するところはありましたが、入ってからしばらくすると、明るくなって、妹や弟たちの面倒も良くみていた優しい子という印象。
色々あって、中学3年頃、バーンロムサイを出てしまいました。
それから電気調理具の訪問販売などそれなりに仕事をしていましたが、連絡が途絶え、でも時々保母のレックさんへは連絡をしていたようです。
あと一緒にホームで暮らしたスラチャイとかテンモーとかとも。
1月8日は彼の28歳の誕生日。
脳に菌がまわってしまったためにランパーン県の病院に入院していた彼はレックさんへ電話をしてきて、その後も何度か話をしたそうです。
先週の火曜日、肺にも菌がまわってしまって、今、管だらけだとレックさんに電話があったその次の日に、
彼は亡くなってしまいました。
はっきりした死因はわかりませんが、相当長い間薬を飲んでおらず、不規則な生活を繰り返していたこともあり、エイズを発症してしまったとのだと思います。
この国の法律で、親戚ではない人は本人の遺書がない限り、色々なことが親戚の替わりにできないようで、まずは2週間、シントーの親戚を待ち、もし誰もいなければ、その後土葬されて、年に一度土葬された多くの人と一緒に供養が行われるそうです。
コロナ禍に加え、他県、そしてホームで過ごしていたとはいえ、出ていった後は親戚ではないので、レックさんが色々な人と相談した結果、私たちでお葬式に近い儀式を村のお寺でやることにしました。
今週の木曜日、集まれる人で集まってシントーを弔います。
誰もいない病院で一人で死んで、その後何もしないのはあまりにも可哀想。
バーンロムサイで育った子どもで、このような形で亡くなった子は初めてなので、とても虚しく、
悲しいです。
でも保母のレックさんのような気持ちの優しい人がいてくれて、彼も最期まで彼女と話すことが出来たことが救い。
とても華奢で小さくて目が大きくて声が細くて高くて。 しばらくお寺に預けられていたようですが、何か縁があって叔母さんがバーンロムサイへ連れて来たのを覚えています。
国立孤児院で育った子どもたちとはちょっと違って、お寺に預けられていたとはいえ、世間の波にそれなりに揉まれてきたせいか、大人の顔色をみながら行動するところはありましたが、入ってからしばらくすると、明るくなって、妹や弟たちの面倒も良くみていた優しい子という印象。
色々あって、中学3年頃、バーンロムサイを出てしまいました。
それから電気調理具の訪問販売などそれなりに仕事をしていましたが、連絡が途絶え、でも時々保母のレックさんへは連絡をしていたようです。
あと一緒にホームで暮らしたスラチャイとかテンモーとかとも。
1月8日は彼の28歳の誕生日。
脳に菌がまわってしまったためにランパーン県の病院に入院していた彼はレックさんへ電話をしてきて、その後も何度か話をしたそうです。
先週の火曜日、肺にも菌がまわってしまって、今、管だらけだとレックさんに電話があったその次の日に、
彼は亡くなってしまいました。
はっきりした死因はわかりませんが、相当長い間薬を飲んでおらず、不規則な生活を繰り返していたこともあり、エイズを発症してしまったとのだと思います。
この国の法律で、親戚ではない人は本人の遺書がない限り、色々なことが親戚の替わりにできないようで、まずは2週間、シントーの親戚を待ち、もし誰もいなければ、その後土葬されて、年に一度土葬された多くの人と一緒に供養が行われるそうです。
コロナ禍に加え、他県、そしてホームで過ごしていたとはいえ、出ていった後は親戚ではないので、レックさんが色々な人と相談した結果、私たちでお葬式に近い儀式を村のお寺でやることにしました。
今週の木曜日、集まれる人で集まってシントーを弔います。
誰もいない病院で一人で死んで、その後何もしないのはあまりにも可哀想。
バーンロムサイで育った子どもで、このような形で亡くなった子は初めてなので、とても虚しく、
悲しいです。
でも保母のレックさんのような気持ちの優しい人がいてくれて、彼も最期まで彼女と話すことが出来たことが救い。
そして一方では、3月に新しい命が誕生します。
アームが大きなお腹で、まだ和食屋で働いているので会いに行ってきました。
お店はかなり混んでいて人気の日本食屋。
元気に働いていました。
逞しい!
出産後3ヶ月の産休があり、また復帰するそうです。
昨年コロナ禍の中で大学を卒業したのは、ガノックとナット。
二人とも全く就職できないまま、でもなんとか食べていっています。
ナットは日雇いのアルバイトをしながら、好きなものを作って、サンカムペーンにあるチャムチャーマーケットという、タイ人にも観光客にも人気の場所で、土日ブースを借りて販売しています。
ちょうど昨日一昨日、やっとチェンマイの規制が緩まり、マーケットも再開。
昨日覗きに行ってきましたが、やはり以前とは別の場所のように人が少なかったです。
バンコクからの観光客が戻ってくればもう少し良くなるかと。
でもナットは自分にあった生活パターンらしく、楽しいと言っていたから、一安心です。
再来月には延期されていた卒業式もあるので、そこで彼への支援は一段落。
多くの友人のおかげで無事四年間の大学生活を送れたことは、本当に恵まれているし、成績もそれなりに良かったのは、彼の努力もありました。
二人とも全く就職できないまま、でもなんとか食べていっています。
ナットは日雇いのアルバイトをしながら、好きなものを作って、サンカムペーンにあるチャムチャーマーケットという、タイ人にも観光客にも人気の場所で、土日ブースを借りて販売しています。
ちょうど昨日一昨日、やっとチェンマイの規制が緩まり、マーケットも再開。
昨日覗きに行ってきましたが、やはり以前とは別の場所のように人が少なかったです。
バンコクからの観光客が戻ってくればもう少し良くなるかと。
でもナットは自分にあった生活パターンらしく、楽しいと言っていたから、一安心です。
再来月には延期されていた卒業式もあるので、そこで彼への支援は一段落。
多くの友人のおかげで無事四年間の大学生活を送れたことは、本当に恵まれているし、成績もそれなりに良かったのは、彼の努力もありました。
卒園生、みんなそれぞれです。
でも生きていてこそ。
元気で生活していって欲しいです。
コロナ禍でみんな大変だけど、、、。
でも生きていてこそ。
元気で生活していって欲しいです。
コロナ禍でみんな大変だけど、、、。
2021/01/24(日)
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