そういうことだったんだな
11月12日、本当は日本時間の19時すぎには、バンコクに到着して、隔離ホテルへ行っているはずだったのですが、その日の夜遅く、私は東京の病院のICUで危篤状態の友人のそばにいたのです。
そして13日、その友人は息をひきとりました。翌日が58歳の誕生日でした。
知り合ってからまだ3−4年の友人ですが、2018年のお正月、年上の友人たちと一緒にホシハナで過ごし、そのあとの3月に、悪性リンパ腫で入院。ちょうど私も同じく糸島の病院で手術という時期も重なり、豪華な慈恵医大と、地味な糸島の病院の違いを笑いあっていました。
寛解して2019年のお正月もまた一緒にチェンマイで過ごし、そのあと再発。細胞移植という辛い治療の後、一旦退院したけれど、再々発。 さらなる細胞移植をしたけれど、抗がん剤や放射線たくさんやっていたから、他の臓器に負担が来てしまい、かなり辛そうでした。
手術のできない癌は、化学治療に頼るしかないから、私みたいな癌はとてもラッキーだと彼女を見ていてつくづく思った、、、、。
そして13日、その友人は息をひきとりました。翌日が58歳の誕生日でした。
知り合ってからまだ3−4年の友人ですが、2018年のお正月、年上の友人たちと一緒にホシハナで過ごし、そのあとの3月に、悪性リンパ腫で入院。ちょうど私も同じく糸島の病院で手術という時期も重なり、豪華な慈恵医大と、地味な糸島の病院の違いを笑いあっていました。
寛解して2019年のお正月もまた一緒にチェンマイで過ごし、そのあと再発。細胞移植という辛い治療の後、一旦退院したけれど、再々発。 さらなる細胞移植をしたけれど、抗がん剤や放射線たくさんやっていたから、他の臓器に負担が来てしまい、かなり辛そうでした。
手術のできない癌は、化学治療に頼るしかないから、私みたいな癌はとてもラッキーだと彼女を見ていてつくづく思った、、、、。
戻りたい戻りたいと言っていた自分の家に帰った時は、とてもいい感じの笑顔になっていました。
辛い治療、がんばったもんねー。
ご両親もお兄様も癌で亡くし、一人暮らし。
今は、大好きなお寿司やエビや鰻の白焼きを、家族で食べていることと思います。
食べるの大好きだったから。
49日なんか待ってられないよね。飯田享子さん!
私のお世話になっている家と、彼女の家が近いこともあっって、お手伝いできることはやり、年上の友人たちと、日々献杯を繰り返し、私たちのやり方で、楽しく葬いました。
きっとこういうのを、喜んでくれていると思います。
そうか、12日にタイへ帰れなかったのは、こういうことだったんだな、と納得。
次のチャンスに向けて、今日ちょうどもう一つの保険のことがクリアになったので、一歩前進しました。
さあ、目指せ年内チェンマイ着。
ダメだったら日本のお正月を楽しみます。
その前に秋の日本を満喫しなくては。
辛い治療、がんばったもんねー。
ご両親もお兄様も癌で亡くし、一人暮らし。
今は、大好きなお寿司やエビや鰻の白焼きを、家族で食べていることと思います。
食べるの大好きだったから。
49日なんか待ってられないよね。飯田享子さん!
私のお世話になっている家と、彼女の家が近いこともあっって、お手伝いできることはやり、年上の友人たちと、日々献杯を繰り返し、私たちのやり方で、楽しく葬いました。
きっとこういうのを、喜んでくれていると思います。
そうか、12日にタイへ帰れなかったのは、こういうことだったんだな、と納得。
次のチャンスに向けて、今日ちょうどもう一つの保険のことがクリアになったので、一歩前進しました。
さあ、目指せ年内チェンマイ着。
ダメだったら日本のお正月を楽しみます。
その前に秋の日本を満喫しなくては。
2020/11/16(月)
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